【再び住民投票へ】

議会報告

【再び住民投票へ】
 本日、9月3日の大阪市会本会議において「特別区設置協定書の承認」および関連案件が、維新・公明の賛成多数で可決となりました。
 自民大阪市議団は、川嶋広稔(東成区)議員より下記のとおりの反対討論を行い、反対を致しました。
 協定書の内容については…
1.財政シミュレーションの欠陥
2.総務大臣意見に対する認識
3.住民サービス維持は特別区設置時点まで
4.財政調整制度の問題
5.移行プロセスの問題
6.広報の中立性の問題
などを指摘。
 コロナ禍における住民投票実施についても問題があると言わなければなりません。
 詳細については、下記の全文、そして川嶋議員からの動画コメントをご確認下さい。
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 私は、自由民主党・市民クラブ大阪市会議員団を代表し、議案第134号、特別区設置協定書の承認について、ならびに議案第135号に断固反対の立場から討論をさせていただきます。
 まず初めに、前回の2015年5月17日に、大都市法に基づいて行われた住民投票は、賛成694,844票、反対705,585票という結果で、大阪市の廃止、特別区の設置は否決されました。
直接民主主義で示された、主権者たる市民の判断は大変重く、結論に従うことは政治家の責任であります。
 2015年の住民投票で一旦決着したにもかかわらず、都構想の再チャレンジが批判されることなく、「あたり前」のように受け止められていることに、大阪における、地方自治ならびに民主主義の危機を感じています。
 それでは、「特別区設置協定書」に関して申し上げます。
 昨年の統一地方選挙ならびに知事・市長のダブル選挙の結果を受け、法定協議会において、是々非々の立場で議論に臨んできました。
 第26回法定協議会において、「特別区素案の問題点及び修正提案について」を提出するほか、様々な提案をしました。しかし、それらの提案が一切取り入れられることなく、最終的に本議案である協定書が取りまとめられたところです。
 議論を重ねた結果、特別区制度案や特別区設置協定書に関しては、リスクや課題しか見つからず、さらに、公明党が賛成の立場に転じる際に提示された「4条件」によって、より問題の多い協定書となってしまいました。
 これらの問題に対して、わが会派では、本臨時会の代表質疑及び各常任委員会において、様々な観点から、市民の立場に立って真摯に議論を行いました。

 それでは、反対理由として主な論点について6点申し上げます。
 1点目は、財政シミュレーションについてであります。
 将来の特別区が成り立つという唯一の根拠とされる財政シミュレーションに関して、重大な欠陥が明らかとなりました。
改革効果額という名のもとに、「プール等の市民利用施設の廃止を前提とする17億円」と、コロナ禍以前に策定された「大阪メトロの中期経営計画を鵜呑みにした固定資産税と株主配当金の172億円」が恣意的に上乗せされていました。
 これらの額を差し引くと、特別区では収支不足が発生することになります。財政シミュレーションには全特別区で「収支不足が発生しない」と記載されておりますが、このことは、明らかに市民を欺くものであります。
 プール等の市民利用施設の廃止など、サービス低下を前提としていることは、特別区になっても市民サービスが維持されると主張していることと明らかに矛盾するものであり、
また、特別区という自治体の将来を大阪メトロという一企業の業績に命運を預けるかのような収支となっていることは問題であります。このコロナ禍において、大阪メトロの直近の決算では、今年度の業績さえ見通しが全くつかなくなっている状況です。
まさに、『大阪メトロ次第』、『大阪メトロ頼み』の特別区となっていることから、どう考えても財政運営が成り立つとは思えません。
 これら、発現の可能性が疑わしい効果額を無理に上乗せして作られた財政シミュレーションを根拠に、特別区の財政が成り立つと主張することには唖然としました。

 2点目は、総務大臣の意見に対する市長の認識の問題についてであります。
協定書に対する総務大臣の「特段の意見なし」という回答を踏まえて、市長から、特別区が地方財政制度の中で、基礎自治体として十分に機能する、財政的に成り立つことを総務省が認めているかのような発言がありました。
 平成27年5月12日の参議院総務委員会において、高市総務大臣は明確に、「財政効果については、この協定書案には含まれておりません」「総務大臣の意見の対象でもございません」と答弁されております。加えて、今回の「特段の意見なし」に合わせて出された総務大臣コメントでも、「特別区設置に関する判断をするものではなく」と明確に言われています。
 総務大臣が財政シミュレーションを含めて、将来の特別区の財政運営に責任を持たないにもかかわらず、本協定省によって特別区が成り立つということは、信用に値しません。
合わせて、このような事実に基づかない誤った認識と主張で市民を惑わすことは到底許されるものではありません。

 3点目は、住民サービスが低下する恐れがあるという問題です。
 「特別区設置の際は住民サービスを維持する」と協定書には記載されていますが、いつまで住民サービスが維持されるのか質したところ、制度的には、今の住民サービスが維持されるのは、特別区の設置時点、要は、2025年1月1日でしかないことが確認できました。
 都構想の大きな柱の一つが、「公選区長の下でのニアイズベターの実現」である以上、選挙で選ばれた区長・区議会の下、地域の実情に応じた施策を展開し、独自色を出していかなければ意味がありません。
 しかしながら、残念なことに、全ての特別区における財源と職員体制は極めて脆弱であり、加えて、コストの負担も大きく明らかに財政運営に響いてくるでしょう。
限られた財源の中で、区長が独自の施策を進めるためには、「優先順位付け」や「施策や事業の選択と集中」を進める必要があります。そのため、例えば、子育て支援に力を入れようとすれば、高齢者支援を縮小するなど、施策や事業の転換を図っていかなければなりません。
 そもそも特別区の事務は、基礎自治事務に限定されるため、歳出は扶助費や公債費といった義務費の割合が大きくなります。財政の硬直化が進めば、政策選択の幅は狭まり、特別区長のマネジメントも厳しくなります。
よって軽々しく「サービスが維持される」など宣伝してはならず、むしろ、特別区ごとに住民サービスは異なると強調しなければなりません。
 さらに、サービスを支える職員数も、財源も精緻に積み上げられたものではなく、まさに、実態に基づかない机上の数字に過ぎません。

 4点目は、財政調整制度の問題についてであります。
特別区になった時に住民サービスのレベルを維持できるのかを確認するためにも、地方交付税制度に基づいて、特別区ごとの基準財政需要額を示すべきだと何度も主張してきましたが、一顧だにされませんでした。
 そもそも地方交付税制度に基づく国からの交付税は、府市合算方式によってすべて大阪府に交付され、直接特別区には交付されません。特別区の財政に対する責任は、国ではなく、大阪府が責任を持つ事になります。
しかしながら、大阪府が確実に基準財政需要額を保障する根拠と責任が明確に示されていません。これでは、大阪市民が不利益を被ることは明らかです。大阪市を4つの特別区に分割した際に、特別区の実際の基準財政需要額が膨らんだとしても、財源保障されないことが、都区制度の最大の問題点であり、結果、大阪市民が「茨の道」を歩むことになります。

 5点目は、移行までのプロセスの問題についてであります。
各委員会で質疑しましたが、特別区の職員体制や、移行までのプロセスを取りまとめた工程表が、関係局の意見をほとんど聞かずに、副首都推進局の独断でまとめられたことが明らかになりました。
 また、特別区に移行した後、具体的に住民サービスが、「どうなるのか」と尋ねても、「協定書の趣旨を踏まえ、移行準備期間中に検討する」と丸投げされていて、何一つ確かなことは決まっていないということも明らかになりました。
 住民投票で多数となって、2025年に大阪市が廃止され特別区が設置されるといっても、万博とも並行しながら、移行準備が進められるとは到底思えません。

 6点目は、広報の問題についてであります。
何にもまして、問題なのは、副首都推進局が進める広報です。副首都推進局の広報は、都構想のプラスの面だけを強調する一面的な内容となっています。
 広域行政と基礎自治行政を一体的に処理する大阪市を廃止することのマイナス面ははかりしれません。市民が適切に判断できる材料をきちんと示すべきであるにもかかわらず、副首都推進局の広報は、都構想賛成へと導くための極めて恣意的な広報となっており、中立・公平性を欠くものです。
 財政総務委員会での都構想に係る広報のあり方について、質疑が交わされた際、副首都推進局長は、「都構想の実現がミッション」であると断言されました。都構想の実現をミッションとする広報に、中立性や公平性はもはや期待できません。単なる広告です。このような広報の下で、住民が適正な判断はできません。
以上、主な論点を6点挙げさせていただきましたが、他にも問題をあげればキリがありません。
 例えば、警察は大阪府の事務であり所管エリアも大阪府、税負担も意思決定も大阪府民が行いますが、市町村事務である水道や消防については大阪府に移管されても、所管エリアは大阪市のままで、その費用や税負担は特別区民の市町村税などが充てられます。
 にもかかわらず、水道や消防の行政サービスを受けていない特別区民以外の方が、そのサービス内容の決定に加わることになります。
 これは明らかな「自治権の侵害」であり重要な問題です。
さらには大規模公園や博物館など、大阪市の資産と事業が大阪府に移管されるにもかかわらず、その事業には府税ではなく、市町村税が充てられることによって、特別区民が税の二重負担を強いられる問題もあります。
 他にも、厚生労働省の発達障害支援センター補助金の課題や、一部事務組合の設置など国との協議が口頭で済まされたり、協議内容が双方の文書で取り交わされない問題など、枚挙にいとまがありません。
 さて、コロナ禍に関連して申し上げたいことがあります。
コロナ禍によって大阪都構想が前提としていた社会は、大きく変わりました。アフターコロナの社会では、バブル崩壊後、阪神淡路大震災後や東日本大震災後のように、経済のあり方、個人の人生観も含めた価値観までも含めて大きく変容し、新たな社会システム、経済システム、そして新たな行政システムが求められることになるでしょう。
 中長期的には、インバウンド頼みの成長戦略に重点投資を行うのでなく、地に足のついた技術革新による経済成長や、雇用や生活困窮問題、中小企業の事業継続のための支援など社会政策に重点をおかざるを得ないでしょう。さらには、感染症対策や大規模自然災害を含めた危機管理に対して万全の備えをすることも必要です。
 そのためには、政令指定都市としての大阪市の強みを生かして、全力でこれら政策にあたって行かなければなりません。よって、今やるべきことは、都構想ではありません。
 続いて、大阪の特別区が東京の特別区のようになるかのような誤解を与えていますが、東京の特別区と明らかに異なる点について申し上げます。
 東京の特別区は、戦時中の昭和18年に国によって東京府と東京市が廃止され、東京都と特別区となりました。戦後、特別区は「自治権拡充運動」を展開し、長い歴史を積み上げて「基礎的な自治体」としての権能を獲得してきました。東京の特別区の歴史から、今、大阪市がやろうとしていることを見ると、正反対の「自治権放棄運動」と言えます。
 東京の場合は特別区への移行主体や制度的な担保の責任は国にありましたが、大阪の場合は、私たち議員の判断ののち、主権者たる大阪市民による住民投票によって「自治権の放棄」が決定されます。国や大阪府にはその責任はありません。そのことを皆さん、理解されているのでしょうか。
 地方交付税制度におけるナショナルミニマムを誰が保障するのかという事についても大きな違いがあります。東京都の場合は不交付団体であることから、特別区に対しては、国基準以上のものを東京都が保障をしています。
 大阪の場合は大阪府も大阪市も交付団体です。特別区は大阪府の財政に依存する事になりますが、特別区のナショナルミニマムを大阪府が本当に保障してくれるのか全く不明です。
 そもそも、大都市制度改革と経済成長の間には因果関係はありません。経済成長という目的を実現するためのいくつかの手段のうちの一つが、大都市制度改革に過ぎません。手段は往々にして間違えることもあります。そういう点を冷静に判断すべきです。
今の大阪の繁栄は、政令指定都市としての権限と財源を持った大阪市であったからこそなし得たものであります。今一度、大都市としての発展の礎を築いてきてきた大阪市の業績の大きさに目を向けなければなりません。
 戦後、高度成長期には大阪万博の開催に伴い、国、大阪府、大阪市によって大阪の確固たる都市基盤が構築されたのです。大阪府、そして大都市としての大阪市がなければなしえなかったでしょう。
 なにわ筋線や、淀川左岸線、G20や万博などにしても、「大阪市という核」があったからこそ、なし得た、あるいは、なし得るものであります。
 大阪市が廃止され、大阪府のみとなった時に、相互補完し合う相手なくして、十分に機能し得るのか疑問であります。
 にもかかわらず、都構想をめぐる議論において、政策の失敗であるWTCを「二重行政」であるとか、廃棄物処理のために作られた夢洲を「負の遺産」などと誤ったマイナス面にのみ焦点をあて、それがまるで「全て」であるかのごとく宣伝し、大阪市の存在がまるで「悪」であるかのように、市民を惑わしていることに怒りすら覚えます。
 今を生きる自分たちの力を過信し、多数という「驕り」によって過去を否定する行為は、将来を危うくすることになります。
先人が築き上げてきた大阪市の素晴らしさについて、水や空気のような感覚で、当たり前のように享受しているため、評価されにくいものですが、しかしながら、先人たちが築き上げてきたものを、今を生きる者が大阪市の素晴らしさに気がつくのは、大阪市がなくなってからであります。
 気づいた時には、時既に遅しです。
 二度と大阪市には戻れません。
 最後に、この臨時議会を含め都構想議論に関する全ての議事録は、未来永劫残されるべきだということを申し上げます。
 わかりやすい政治思想や政策は、そのわかりやすさに慣れてしまうことで、思考が鈍化し、複雑な現実を複雑なまま捉えることができなくなってしまいます。その結果、大きな過ちを招くことは歴史から簡単に学ぶことができます。
 だからこそ、特別区になった後、我々の議論は間違いなく検証されることになります。
 この協定書の内容で、本当に大阪市民に幸せを約束できるのか、今一度、真剣に考えいただきたいと思います。今日、この日の「判断」の責任を負うのは、我々議員一人一人なのです。
以上、政党ではなく、市民の代表である議員一人一人が、市民の幸福を追求するという代議制民主主義のもとでの使命を、反対の意思を通じて、ともに歴史に刻んでいただきたいと心から申し上げ、私の反対討論とさせていただきます。
 ありがとうございました。

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